ロバ―ト・ドヴァー、1988年、ゲイであることをオープンにして初めてオリンピックに出場した馬術選手

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picture from Robert Dover: Then and Now 1994 to 2016
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1988年にゲイであることをカミングアウトしたオリンピック選手

新型コロナウイルス感染症の感染拡大が収まらず、不安な日々が続いておりますが、東京オリンピックも残すところあと2日となりました。

東京オリンピックでは、日本人選手の活躍により現時点で日本人選手団は50個を超えるメダルを獲得しています。また、メダル獲得に関わらず様々な競技に出場した選手の頑張りを目にし、多くの人が勇気づけられたのではないでしょうか。

東京オリンピックには史上最多、少なくとも182人(少し前までは163人)のオープンリーLGBTQ+アスリートが出場しています。そして、オリンピック史上初のトランスジェンダーアスリートも誕生しました。

今やアスリートもセクシャリティーをオープンにしてオリンピックに出場することができる時代となってきましたが、公にカミングアウトをしたLGBTQ+のアスリートがいないオリンピックもありました。

その先駆者となったのがアメリカの馬場馬術の元オリンピック選手であるロバート・ドヴァーRobert Dover)です。もし彼の勇気ある行動がなかったら、東京大会にこれほどまでのLGBTQ+のアスリートが出場していなかったかもしれません。

ロバート・ドヴァーは、13歳の時に乗馬を始め、19歳で馬場馬術を専門に行うようになりました。28歳の時に、初めてオリンピック選手に選ばれ、1984年のロスオリンピックに出場しました。そして、1988年、ドヴァーにとって2回目となるオリンピック前に公にゲイであることをカミングアウトし、ソウルオリンピックに出場し、オリンピック史上初のオープンリーゲイのオリンピック選手が誕生しました。

ソウルオリンピック後も、1992年のバルセロナ、1996年のアトランタ、2000年のシドニー、2004年のアテネと6大会連続出場し、すべてのオリンピックでチームキャプテンを務めました。また、1992年のバルセロナ大会から2004年のアテネ大会までの4大会で彼が出場した馬場馬術団体でアメリカチームは合計4つの銅メダルを獲得しました。

 
 
 
 
 
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東京大会に出場したオープンリーLGBTQ+アスリートの中ではオープンリーゲイの男子選手は女子選手に比べるとまだまだ少ないですが、東京オリンピックではロバート・ドヴァーと同じ馬場馬術において、団体で銅メダルを獲得した英国代表のカール・ヘスターCarl Hester)、オランダ代表でカップルのエドワード・ガル(Edward Gal)とハンス・ペーター・ミンデルフートHans Peter Minderhoud)の3人の素晴らしいオープンリーゲイの選手が出場しました。また、東京オリンピックでは米国チームは馬場馬術団体で銀メダルを獲得しています。

もしかするとカミングアウトをしていないだけで、実際はもっと多くのオープンリーLGBTQ+のオリンピック選手が出場していたかもしれません。東京オリンピックは新型コロナ感染症の影響もあり、ある意味歴史に残る大会となりましたが、LGBTQ+にとっても特別な大会となったのかもしれません。

それでは、オリンピック初のオープンリーゲイのロバート・ドヴァーについての記事をご覧ください。

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オリンピック初のオープン・リーゲイのアスリート

今年、我々は世界的な舞台である東京オリンピックで競う歴史的な数のLGBT+の選手を目にすることとなるが、LGBT+の選手が一人もいない時代もあった。

少なくとも163人(現在は182人)のLGBT+であることを公表している代表選手が東京オリンピックに出場することになっており、この人数はこれまでの夏季オリンピックに出場したLGBT+の選手の合計人数よりも多い。

スクリーンに多くのクィアのスターが映し出されるにつれて、カミングアウトをして誇りをもってキャリアの絶頂期に競技を行うアスリートを目にすることが如何に重要なことなのかを忘れがちである。そして、彼らはみな、ロバート・ドーヴァー(Robert Dover)が先駆者となってくれたことに感謝している。

馬術のチャンピョンであるロバート・ドーヴァーは、1988年、AIDS危機の真っただ中、近代オリンピックに出場する前に初めて公にゲイであることをカミングアウトした最初のアスリートとなり歴史的な偉業を成し遂げた。

彼はオリンピックではお馴染みの顔で、ロスオリンピックの4年前からアメリカ代表としてオリンピック出場していたが、その当時、彼は自身のセクシャリティーに自信を持てていなかった。彼は普段はそのことを考えないようにしていた。

「我々のオリンピックチームの全体的なムードは素晴らしいのものでした。我々はオリンピックスタジアムの中に入ると、”U-S-A、U-S-A!”と叫んでいて、我々はチームとして生活をしていました」とOlympic and Paralympic Museumでのインタビューで述べた。「一番の気がかりは自分のセクシャリティーでした」

選手村で生活している間、他のスポーツを観戦している間、そして、馬術のイベントの間、ドヴァーはあたりを見回し、どれくらいのアスリートがクローゼットなのかを把握しようとしていた。

「レインボーフラッグを掲げているような人はいませんでしたが、ほとんどのスポーツにゲイのアスリートは存在していました」と彼は述べた。「人にはゲイダーがあると言われており、我々は本来の姿を簡単に見分けることができたのです」

ドヴァーは、1988年のソウルオリンピックまでセクシャリティーを隠していた。

「(ドイツから帰国した)翌年、ソウルオリンピックの準備のために家の戻った時、私は『というか、これは自分が望んでいる姿ではない』と自分に言いました」とドヴァーは述べた。

ドヴァーは、自身のセクシャリティーについて公にすることを決断したとOutsportのポッドキャスト”Five Rings to Rule Them All”で述べた。

その決定的な瞬間は、アメリカチームがオリンピック前にアスリート委員会とのメディア討論会を開催した際に訪れた。とある部屋にすべてのアスリートが集められ、そこでメディアに向けて自己紹介を練習をしなければならなかった。

「持ち時間は20秒で、それぞれ一人ずつ『私の名前は○○です。水泳選手です。〇〇ということもありこの場にいれてとても幸せです』といった自己紹介でした」とドヴァーはポッドキャストで当時を思い出していた。

「私の場合は、『私の名前はロバート・ドヴァーです。馬場馬術の米オリンピックチームの形だけのユダヤ系のゲイボーイです』といったもので、その場を去りました」と彼は当時を振り返った。

それは何気ないもので、多くの人はただ笑っていたが、メディアは注目した。

「多くのプレスが私の後をついて回り、私はオリンピックスポーツにおいてオープンリーゲイであることについて語ることにたじろくようなことはしませんでした」と彼は述べた。

彼はまた、最も窮屈な時代について語ることも恐れなかった。スポーツ界はAIDSを避けていたが、ロバート・ドヴァーはそれに真正面から取り組んだ。

「私は、自分がゲイであることと馬術のコミュニティー内においてもこの病によって多くの人が亡くなっていることを懸念しているという声明を発表しました」とOlympic and Paralympic Museumのインタビューで述べた。

もちろん、ドヴァー以前にLGBT+のオリンピック選手はいたが、公にカミングアウトして競技に参加した人はいなかった。

1928年、オットー・ペルツァー(Otto Peltzer)はドイツの陸上選手で、彼は家族にはカミングアウトしていたと言われている。彼は、1935年にナチスによって逮捕され、”同性愛犯罪”で有罪の判決を受けている。1976年には英国のフィギュアスケート選手のジョン・カリー(John Curry)が冬季オリンピックで金メダルを獲得後にマスコミにゲイであること暴露された。同年、トランスジェンダーであることをカミングアウトする数十年前にケイトリン・ジェンナー(Caitlyn Jenner)は夏季オリンピックで金メダルを獲得している。

ドヴァーのカミングアウトは、オリンピック界と彼自身にとっても非常に大きな衝撃であった。

アメリカに戻ってから、彼と30年以上連れ添い現在の夫でもある彼のパートナーのロバート・ロス(Robert Ross)は、病気とけがに苦しむアスリートの仲間のために基金を募るためEquestrian Aid Foundationを設立した。

ロバート・ドヴァーは30年ものオリンピック選手としての驚くべきキャリアの間ずっと目に見える形でオープンのまま誇りを持ち続け、馬場馬術団体で4つの銅メダルを獲得した。

彼が素晴らしい先例となったことに感謝し、彼と同じ馬上馬術においいて彼の後に多くの選手がカミングアウトし、今ではLGBTインクルーシブな競技であると世に知られている。

しかし、ドヴァーが先駆者となったものの、スポーツのキャリアに傷がつくことを恐れ、未だにカミングアウトできない選手が多くいること彼は知っている。

「私はすべてのゲイの選手がフットボール、野球、オリンピックとどの分野においてもカミングアウトできることを願っています」と彼はSeattle Gay Newsで述べた。

「6回のオリンピックを経て、ゲイのアスリートはどのスポーツにも存在していることを私は知っています。家、ジム、ディナーと1日を過ごすだけで、我々がどこにでも存在していることがわかるでしょう」

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